麦さんぽ

思ったこと、起こったこと、感じたこと、そんなこと。

秋っぽっち。

 クリスマス、年越し、新生活、桜、海、花火。それに比べて食欲運動読書の秋。それが悪いとは言わないけれど、食欲も運動も読書もいつの季節にだってあるじゃん。秋には何も無いから、それは秋が可哀想だからって取って付けたような○○の秋。それこそ秋が可哀想な気がする。

 それに何食欲の秋って。寒くなり始めたらそりゃあ食べる量が増えるかもしれないけど、年末年始の方が明らかに暴飲暴食して体重増えるし、そもそも三大欲求のうちの一つを秋に分類するのが意味分からない。まじで。
睡眠欲と性欲はオールシーズンで食欲は秋限定なんですか。それっておかしくないですか。睡眠欲さんと性欲さんが可哀想じゃないですか。食欲くんだけずるいって喧嘩になりはしませんか。もしそうなって三大欲求から誰かが脱退したらどうするんですか。そう責任取るんですか。責任取れるんですか。でもたくさん食べれる言い訳になるので少しの感謝。睡眠の四季、待ってます。

 でもさ、運動の秋って違うよね。感謝すること何一つとして無いし。そもそも秋に運動しようってのが間違いじゃ無いですか。だって寒いじゃん、普通に寒いじゃん。こんな季節に体操服着て外で運動させる学校何?普通に頭おかしいよね。運動は嫌いじゃ無いしというか好きなんだけどそれでもどうかしてると思う。体動かして暖まろうじゃ無いんだよ薄着で外出て寒いんだよ。どうして夏に運動を持ってこないかな。普通に考えて運動の夏だよね。

 読書の秋って何。読書と秋の関係性何。
食欲みたいに寒いと食べたくなるとか、運動みたいに外の気温がどうのとか無いじゃん。あ、本が読みたくなる季節だ、とはならないじゃん。なんで読書をチョイスしたかね。今週のお題が「読書の秋」なのも納得いかないよ。
たしかに外を散歩したりしやすい気候だし散歩の途中で見つけた公園やカフェなんかに寄ってみて読書をする、なんてことは多くなるかもしれないけどそれはあくまで僕や、僕みたいな読書スタイルの人にしか当てはまらないと思うんだ。本を読む人の中でさえ分かれるのにそれをさも皆読んで当然のように読書の秋を謳う。押しつけ以外の何でも無いよね。かつて読書嫌いだった小学生麦は秋の読書週間とか地獄以外の何物でもなかったしもっと読書嫌になったし。良くないよね。
活字に触れろと先生はよく言っていたけれど、言葉に触れると言う行為は読書にしか無いわけでは無いって最近思うんだ。確かに読書でしか得られないものはあるかもしれないけど、そこで得られないものが映画やドラマ、アニメーションの映像作品、ラジオや人との会話、音楽の音響作品にはあると思う。だから、納得は行かないけど読書の秋というのなら映像も音響も、その他のものも含めての秋にしても良いと思うんだ。秋の読書週間で読書を嫌いになる人を減らすために。遠回りでも、読書を好きになってもらうために。
そのきっかけ作りのためなんだったら読書の秋があってもいいのかな、なんて思うな。

 

 秋っぽっち秋っぽっち。
ぽっちは寂しい言葉なんだって中学の国語の先生が教えてくれた。一人でも寂しくなければ独りぼっちじゃないし、二人でも寂しければ二人ぼっち。だから食欲と運動と読書があっても秋っぽっち。
可哀想だからと無理にイベントを宛がわれた、寂しい秋っぽっち。

お風呂のような恋人を作れ。

 シャンプーを流してシャンプーをつける。そしてシャンプーを流した後に気付くんだ。一回洗ったくね、と。
どうやらお風呂というのは不思議なもので人から知能を奪ってしまうらしい。洗い流された汚れはもしかしたら知能なのかもしれない。もしかしたら知能なんていらないのかもしれない。
シャンプーした後にシャンプーする、これあるあるじゃないですか。?じゃなくて。なのはみんなそうだって確信してるからなんだけど、みんなそうだよね。信じていいよね。ね?
だから私があほとか馬鹿とかそういう話じゃないんですよ。全人類共通。あんだすたん?
でも何で今さっき自分がしたことを忘れてもう一回同じ事しちゃうんだろうね。人類の不思議。

 お湯の温度かな、とか思ってみる。
暖かいシャワーを浴びる、するとIQが溶けてくの。アイスみたいに。夏って人を馬鹿にするじゃん。一夏のなんちゃらとかいってはっちゃけてみたりとか夜中に外で騒いでみたりとか。
きっと人間は熱に弱いんだよ。ほら、熱出て体温上がると頭ぼーっとするし。
だから人はシャンプーしたことを忘れておいシャンしてしまうのだ。
Q.E.D.
とは、さすがにならないよ。私もそこまで馬鹿じゃない。
やっぱりどこよりもリラックスできる自分だけの空間っていうのが大きい理由なんだろうね。知らんけど。
身に纏ったものが何も無い状態、他人に妨害されることのないたった一人の空間、優しく身体を包み込んでくれる蒸気。最高の、空間。ここは全てを受け止めてくれる場所、誰にも批判されない場所、強がらなくていい場所、自分が自分で居ることが許される場所。そんな、場所。

 外に出て人と触れて笑ったり泣いたりするわけだけど、でもそれって本当に私なのかな。あなたは本当のあなたで居られてますか?とかちょっと思っちゃったり。
少なからずみんなお互いに遠慮したり、その場の雰囲気にあった自分を選んで毎日を生きてると思う。それも含めて私なんだって声を大にして叫べたらどれだけ良いだろうか。きっとそうすることが出来る人はほんの一握りなんじゃ無いかな。
少なくとも私は周りに合わせて自分を曲げる瞬間があるし、一緒にいる人たちも今そうしたんだろうなって思う瞬間がある。仕方の無いことなのかもしれないけどね。
そうしなくちゃ人と人は生きていけないとかは分かっているけど、でもなんか納得できない、したくない。嫌だもん皆が自分に嘘つきながら生きるのとか無理だもん絶対嫌だもん。人に嘘つくのもだめだけど自分に嘘つくのはもっとだめだ、多分、そんな気がする。
最近じゃ多様性がどうのこうの言われる世の中になって、確かに色んな人増えた気もするし生きやすくなったと思うけど、どこか同調圧力じみたところがあってそれも好きじゃ無い。わがままなだけなんだけどね。
皆認めてあげようよって周囲への圧力もそうだけど、抱えている側への言っちゃいなよ、そんなことなんかって圧力。その気は無くてもそう感じちゃう人もいると思うし、私はそう感じたし。
きっとどうすることも出来ないんだよね、色んな人がいて、その数だけ気持ちと価値観があるわけだから。皆に幸せになって欲しいけど、誰かが幸せになったら帳尻あわせを喰らう人もいて。難しいよね、人生。
難しいからこそ、素直な自分でいられる時間、自分に対して嘘をつかなくて良い相手って必要だし、大事にしてあげなくちゃなって思いましたまる。

 

 結局なんかいつも通り脱線しちゃったんだけど、お風呂って油断しすぎてやばいよねってお話と自分に素直になれる相手は恋人だろうが友人だろうが大切にしてあげてねってお話でした。
一緒に居る人がお風呂にいる時みたいに今したことをすぐ忘れてたりしょうもない失敗をしたときは笑って許してあげてください。きっとあなたに心を許して気を抜いているんです。そっと、寄り添ってあげてください。そしてあまりにも酷いようでしたら一緒に病院へ行ってあげてくださいね。


私たちは案外、何でも無い時間を求めているのかもしれないね。

折れて治れば元通り、なんてことはあんまり無い。

 久しぶりに筆を執ってみる。最後に書いたのはいつだろうか。一月前か、それよりも短いか、あまり覚えてはいないけれど久しぶりなのは確か。これまでに幾度となく筆を折ってきたし、もう一度筆を握ったとしても折ったところからリスタートすることは無かった。いつも、別の物語を始めようとする。きっと、悪い癖。
 でも今回は続きから始めてみようと思うんだ。あくまでも書きたいことを等身大で書こうってものだから続きから初めても物語のつながりが~とかこの伏線は~とか前に書いたプロットが~とかが無いからね、書きやすい。でもま、折れた筆をテープでぐるぐる巻きにして握るわけだから完全に元通りなんて事はないよ。断言は出来ないけどね。窮屈だと思って事は全部撤廃するし、書きたいことがあればそれを優先して書くし、日記そのものが変わるかもしれない。それでも僕の書く文章が好きだって思ってくれたらいいな。それは少し望みすぎかな。

 しばらく筆を執らなかった理由とか、ここ数日のやる気が無かった理由とか、他の人に言うようなことじゃないから多くは語らないけど、人間関係って大変だよねって話。周りから見たら上手くいってそうなカップルが裏では険悪ムードだったり、一見真面目そうに見える人が一番倫理観が無かったり、それこそ人は見かけによらないってやつ。大変だよ、ほんとに。
 折れて治っても元には戻らない。人間関係もきっとそうなんだよね。良い方にも悪い方にも転がるかもしれない、でも現状そのままは辛い、だから何か行動をして打破しなくちゃ。そうは思っていても行動をしたら何かが変わって今には戻れなくなってしまう。だからこそ踏み出せない。
 友達同士で喧嘩して仲直りすれば元通り、なんて思った人もいるかもしれないけど、友達同士だって変化はあるよ。どっちが悪いにしろ喧嘩した過去は残るわけだし、心のどこかで気にとめているかも、自分はそうでも無くても相手はそう思っているかも、また、相手にそう思わせてしまっているかも。きっと心のどこかでちっぽけな喧嘩も抱えて生きていくんだ
。だから、恋人とか信頼していた相手は尚更元通りにはなれない。
 信頼していた店長さんに相談をしてみたら自分が思っていたような人ではなくて最低な人間だった、自分のことを愛してくれていると思ってた恋人からの愛情が感じ取れない、最初から最後まで良い奴だと思っていた友人の裏切り行為。崩れた関係が元に戻ったとしても不信感や距離感は元には戻らないんだ。被害者はもちろん、加害者もね。
 被害者が辛いのは当然の話だけど加害者も辛いんじゃ無いかな。元の関係に戻りたいって思う人に限った話だけどね。相手にまた嫌な風に思われているんじゃ無いかってびくびく怯えながら生活するんだもん、いくら自業自得と言っても可哀想だよね。きっとお互い、不安な気持ちは拭えない。
 でもだからこそお互い工夫することが出来るし、折れる前より折れた後の方が良い関係になれる、なんてこともあるんじゃ無いかな。あったらいいな。
 一つだったものが離れ離れになったときはただくっつけるんじゃ無くてワンクッション、何か挟んでみるとと味も変わってもっと美味しくなるようなそんな気がしましたよって思いましたってお話です。

 

さて、スモアでも食べますか。

泣いて、笑って、音楽をして。

 アンサンブル試験当日の朝は早い。
日記を書き終えて九時、そこからギターの練習して睡眠。零時。夜更かしの原因はユーチューブな気もするんだけどちゃんとギター練習したことにフォーカスを当てて欲しい。
普段十時間睡眠の私が六時半に起きれるはずもなく。一時間遅れの行動を開始して、出発までの三十分にモーニングルーティンの全てを詰め込む。今日はアコギのジャックをガムテープで貼り付けるオマケ付き。
なんでお前はそんなにアコギから飛び出したがるんだ。
とりあえず今日のライヴを生き残るための応急処置。ちゃんと直すのはまた今度と、かれこれ半年は放置している。そろそろほんとにやばい。


 朝九時過ぎ、何故こんなに早く集まれるのか。バンドマンとは本来陽の光に弱い生き物のはずなのに。薄暗いライヴハウスが生息地なのに。
かくいう私は箱に入ったことはないんだけどね。
軽く全体のミーティングとPA、照明をはじめとするスタッフに挨拶をしてリハーサル。スタッフさん達には頭が上がらないよ、まじで。どんな事してくれてるのか詳しくは知らないんだけどね。
かつての同級生に軽く挨拶をして今の同級生と控え室に向かう。リハとはいえ手は抜けない。というか抜くほど余裕無い。ギター全部覚えられてない。やばい。まじで。


 やっっっばいよまじで。冗談じゃないくらいやばい。先生に今日ピッチ悪いね、ストローク変わっちゃってるよって言われた。三日間寝込んでたんです、朝一なんです。そう自分に言い訳しつつそれは関係ないことは分かっているので落ち込む、焦る。
でもちょっとはそのせいもあると思うんスよ。いやいや分かってます練習不足です頑張りますこれから覚えますよ。本気で。
ふてくされながら覚悟決めながらガムテープべたべたのアコギを撤収する。緊張はしないけど曲覚えてないヤバさで潰されそう。分かってるよ、分かってるよ。覚えるから、ちゃんと。


 本番、トップバッター。緊張はしない。しない。してないよ。別に。
ボーカルのMC、エレキギターの音で曲が始まる。四小節後の自分が鳴らした音からの記憶は、ほとんど無い。
最初の曲で一カ所ミスしたような感覚を引き摺りながら二曲目、三曲目。次で最期。星降る夜になったら。ひたすら楽しかった事だけは覚えてる。サビのコーラスをする度に口角が上がって目もきらきら輝いていったような気がする。
終わってからボーカル三人のリズムがズレてたといわれたけど。あふれるエネルギーで前のめりに走っちゃったんだよね。
でも楽しかったからいいじゃない。見てくれてた人からすごく楽しそうで良かったよって言ってもらえたんだから。楽しんだもの勝ち、そんなもんだろ。


 その後は他のバンドのアンサンブル試験見てたんだけど、やっぱり音楽っていいね。面白アクシデントとか、何も考えずに即興で喋るMCとか、演奏以外のところも笑って楽しめるのってライヴならではだよね。
もちろん演奏もすごい良かった。特に二年生ね。
自分らより一年長く学校で音楽をやってる、その差があるのは分かってるんだけど一年でそこまで変わるのかって驚くし、心をぎゅっと掴んでくる。最初の音、身体に響くバス、一体感、耳に入れても痛くない声。個人の技量もそうなんだけどやっぱり全体としての完成度が高かったよ。圧倒された。鳥肌たったし、なんなら涙がすぐそこまで来てた。ちょっと込み入った事情もあるけれど。
一年後、私は彼らみたいになれるだろうか。
それはまあその時になってみないと分かんないし、考えすぎも良くないよね。今を生きよう今を。

 

 

 内容が濃い一日って言葉にするの大変だなって思った。やっぱり大きいものを細かく鮮明にするのって難しいよね、それが大きければ大きいほど。好きって感情も次から次に溢れてきて大きすぎて細かく伝えることができない、なんてことも多々ある。不器用なだけかもしれないけど。
今日は頭からつま先まで音楽の日だったね。自分にとって音楽がどのくらい大きなものなのかって再確認させられたよ。笑って、泣いて、楽しんで。そんなのもう、人生じゃんか。

 気がついたらもう二十二時だし、まだまだ書きたいことはあるけど日付過ぎたら日記にならないしね。この辺にしておかないと。
明日は早いから紅茶とチルアウトできないね。名残惜しさはあるけれど仕方ない。さよなら、ダーリン。

月見ぶあがあ。

 昔から文字に触れるのが好きだった。小説にはまった時期もある、執筆をしていた時期もある。本気で小説家になろうと思い悩み詰めた時期も。
でもまあ今こうして小説を書くのをやめ、プロになりたいのかどうかも分からないまま音楽をやってみたりしているわけだけど。
執筆するの、ただただ飽きたわけじゃないんだよね。物語を作るのが苦手というか、私が文章に求めているのはそこじゃないというか。言い訳がましい事を無視して言えば、単純に物語りの順序とか、書きたいところの繋ぎの部分とか、かったるかったんだよね。書くの。

自分の好きなところだけ書いていたいじゃんか。

 今ももうぐっちゃぐちゃになってるんだけどこういうこと。指の動くままに書きたい言葉をただひたすら書きたいだけなの。
本を読むときも多分そういうの気にしてると思うんだよね、作者の独特の言い回しというか個性というか。中身よりもそっちが好みに合う方が好き。なんか同じこと書いてない?気のせいかな。
でも誤字脱字以外じゃカーソル戻せないから。ごめんね。


 唐突に日記を書こうと思った時にたまたまブログって言葉を知ってただけなんだけど、唐突って言ったって多少なりともきっかけはある。
寝る前にユーチューブ見るのがおやすみルーティンなんだけど、昨日その広告で酒村ゆっけって人に出会ってね。ゆっけさんがおつまみとか食べつつひたすら酒を飲むんだけど、動画を撮りながら喋るんじゃなくて撮影した映像に声をあてるの。ナレーションみたいな。
それがもうすっごい面白くて、爆笑するようなものじゃないんだけどナレーションの言い回しとかがすごい綺麗で個性的で、本を読んでるみたいだなって。こうやって日常を文章にして楽しめるんだったら日記書いてもいいかなって。そんな感じ。

んで、今日に戻るんだけど。
 日記書くっていっても何書けばええんやってごろごろしながら考えてたんだけどすぐ昼過ぎ。起きる時間が遅かったみたいだけどワクチン三日目の気怠さってことでチャラ。
それはそうと熱は下がってるし丸三日外に出ないのは人類としてまずい気がするのでリビングにぽつんと置いてかれた五百円玉を握りしめいざ外へ。今日はこいつで人生初の月見バーガーを喰らってやる。
ハンバーガーに挟まる卵の食感、どんな味のソースなのか。未知な食は妄想も空腹も倍増させる。
今年の月見は色々増えたらしい。一見さんなのでまずはスタンダードなものから、と決めて家を出たもののやはり他の二種類も気になる。が、パワーアップされたバーガーを食べてしまった後に元のバーガーを食べてがっかりしてしまう可能性がある。それだけは避けたいところなので普通に、無難に、シンプル月見。
冒険しない分月見シェイクを飲むことにする。CMで見た程度なので何味かは知らないけど。
今日の理想の昼ご飯を考えながらるんるん気分で足を進めていると何かが視界の右端から猛スピードで吹っ飛んでいくのが見えた。普段びびりなくせにこういう時って案外びっくりしないんだよね人間。人体の不思議。
それはそうと動くものには目が行ってしまうのもまた人間。乱視の両目に意識を向け、ぐたっと倒れたそいつをすれ違いざまに睨み付ける。どんぐり。と、その先に柿。蹴っ飛ばしていたらしい、どんぐりを。アスファルトに打ち付けられたのかそれとも元からか、ぼろぼろに傷ついたどんぐりにちょこっと心の中で謝ってみる。ごめんよ。
でも近くに木から落ちて傷ついた柿も居たし、いい出会いのきっかけになれたんじゃないかなってポジティブシンキング。帰りに写真撮って「小さい秋みつけた」ってインスタにのせよ。

 月見シェイクはないし小さい秋も見つけ損ねた。詰めの甘さが半端じゃないよ。さすが。
月見シェイクはきなこシェイクっていうらしい。月見シェイクくださいって言ったらめちゃくちゃ困惑されたしもう完売したらしい、減点。そのショック故かはたまた帰り道の気になるカフェに気を取られてかどんぐり達の写真も取り損ねる。もっと減点。
それでもいいんだお前が居れば。月見バーガーと初めての、昼。
おいしい。なんだこれは。なんだこの食感にこのソースは。未知だ、でもうまい。
旨みは未知に勝るんだ。知らない食材を初めて食べた人たちの気持ちが分かったような気がしなくもないよ。ふぐの毒にやられた先人達よ、感謝。ただひたすらに美味を求め口が含み喉が運び腹が痛む。急いで食べなくても月見は逃げないが、逃げようが逃げまいが身体は抗えない。正直なのだ。
今回も無事三角食べに失敗。残ったポテトはコーラの肴。昼からしっぽり決め込んで、一服したら明日のアンサンブル試験の練習をしよう。
まだ昼だけどいい日になった気がするよ。

 

 需要有るのかとかはわかんないけど楽しく書ければそれでよし。そもそも日記なんて人に見せるものじゃないしね。
ゆっけさんの口調だったり好きな小説の文章だったりを意識して書いたんだけど、日記だけど物語みたいでなんだか新感覚。続けられるといいけど飽き性なので二日目はいつ来るのやら。
これ書いてるの夜の九時なんだけど、三時間近く熱中して書いてたみたい。なかなか充実した時間だったよ。
それじゃあね、また明日。